天江衣とエヴァンジェリン

アニメの『咲-saki-』も終わったことだし、以前から思ってたことでも書いておこう。
説明するまでもないけど、天江衣は麻雀漫画『咲-saki-』に登場する麻雀の滅茶苦茶強い金髪少女で、エヴァンジェリンは『魔法先生ネギま!』に登場する最強クラスの魔法使いの金髪少女。


んで、金髪ロリな容姿とそれぞれの分野で異常に強いって点で似てるんで、二人の共通点と相違点を比べてみた。
共通点はやはり、満月の夜になると二人とも最大限の力を発揮することができるってことだろうねえ。勿論「夜」といえば絵的に暗くなるので、二人の心の闇みたいなものが容易に連想できる。両作品ともに「停電」が起きるし、彼女達に立ち向かう主人公には仲間との絆があるってのも同じ。
ネギま!』の12巻で明るい空を見上げるエヴァンジェリンや、『咲-saki-』の4巻最終ページの光に向かって歩いていく天江衣の画*1なんかも同じような意味合いだ。


そして、二人の最大の違い。それは「流れ」に参加することを拒否した天江衣と、「流れ」の中で泳げずに身を任せることしかできないエヴァンジェリンだということ。

天江衣が初登場した際には流れる河を上から眺めている。そして麻雀の試合で彼女の「場の支配」と呼ばれる怪しげな能力は水が上がってくるように描かれていて、天江衣の得意な海底撈月は「海に映る月をすくい取る」って意味だということは、漫画かアニメを見てる人は知ってるだろう。国広君が言ってた「空の満月みたいに孤独」だとか「僕が戦ったのは同い年の女の子じゃなくて、逃れられない運命だった」ってのは正に、そのまんまの意味なんだよねえ。
余談だが、団体終了後のアニメの話に、プールで咲や加治木先輩が仲間と泳ぐ練習してる場面があるけど、単なるサービスシーンじゃなくて、上述のような「流れ」や「場の支配」の描写を基にした、ちゃんと意味のある話なんだぜ。


その一方で、エヴァンジェリンは泳げないという設定だし、子猫(キティ)*2が河に流されているという場面がある。

まぁ、『咲 -saki-』の「流れ」は、良いことも悪いことのどちらもを含んでるけど、『ネギま!』の場合はどっちかというと「悪いこと」の方が強調されているので一概に比べることはできないけどね。



こんなことを長々と書いて何が言いたいかってーと、アレですよ。『咲-saki-』はすんげえ面白い作品だってことですよ。「特殊能力ありえねえww」とか言ってる奴らに喝を入れたい気分ですよ。←『ネギま!』及びエヴァンジェリンに何も関係ないオチだな。
でも、実際問題としてこの作品について、運が絡む麻雀という競技を題材として何を物語っているのかをあまり考えようせずに、「こんなのありえねえ」的な批判ばっかしていた人が結構いたように思える。そりゃ、国広君の服装とか、パンツ履いてないとかに関して批判されたら言い返せないけど。

*1:影の伸びる方向でそのことがわかる

*2:キティは彼女のミドルネームであり、英語で子猫という意味