少年は子供であることを自覚した

鯨飲馬食ブログ-169時間目 ネギ君は本当に成長したのだろうか?で、「母」の庇護のもとにいるネギは成長していないってことを述べられている。
何をして「成長」とするかは個人によって違うだろうけど、俺は成長していると思う。ネギが15、6歳ぐらいなら話は別だが。

いつも遠くばかりを見ていては 足元の小石につまづいて怪我をしてしまうかもしれませんよ
或いは 手元で咲いている花を見逃すことも…(中略)
そして…お父さんの背中を追う日々にも アスナさんのこと…カモさんのこと…お嬢様達や…それにみんなのことを… 
忘れないでください

114時間目の刹那の台詞

俺の跡を追うのはそこそこにして止めておけよ
お前はお前自身になりな
119時間目のナギの台詞

この2つの台詞は、子供のくせに背伸びをしてなんとか「父」に追いつこうとするネギを戒めるために言ったものだろう。子供が「父」になろうとするには、理想の(現在既に)「父」である者の真似をするのでは駄目だ。
ネギはまだまだ10歳の子供だ。子供にゃ「子供」のやるべきモンってのがある。それなのにネギは「母性」を拒絶し「父」の役割を果たそうとしていた。7巻でそれが顕著に表れてて、明日菜と喧嘩になる。
鏡像の関係だったネギとチャオだが、この二人の決定的な違いは「成長を後押しする者」がいたか、いないかで、ネギにはいた。特に158時間目の夕映。この「成長を後押しする者」こそ「母」なる存在ではないのか?
チャオの一件で自分はまだまだ子供だということを自覚したからこそ、ネギは「母」を求めたのだ。
その子供であることの自覚こそが、ネギの成長の証であろう。(『フリクリ』のナオ太みたいなもんか)
無邪気な欲望の姿を多くの読者が肯定的に受け入れているのは、本来小さな子供にあるはずのその無邪気な欲望を、ネギが初めて見せたからじゃないのかな?


しかし、こうしてみるとネギ君は範馬さんちの息子さんと違って結構恵まれてるな。「母」の愛を求めて「父」を追いかけるなんて無茶苦茶だよ、あの家は。