パクティオーの必然性の話

作者本人による「パクティオーのバーゲンセール」発言のせいで、作中でパクティオーがあると肯定的・否定的な意見の両方が多く出ているのだが、「必然性」の有りか無しかが是か非かの基準の一つになっている。
「必然性」って言葉も作者本人が発した言葉なんで、議論の的になるのは当然っちゃ当然なんだが、この「必然性」のって言葉は人によって違う受け取り方をされている気がする。

個人的に違和感があったのが、パクティオーによって得られる戦力について必然性の有無を論じているもの。強い人がやってもあまり意味がないとか、修行もせずに力を得られるとか、そういうの。そりゃ、そういうことについて疑問を持たせないようなエクスキューズは必要かもしれないけど、俺が思ってる必然性ってのはこういうものじゃない。


俺が思う必然性ってのは人物の感情の変化だとか意志決定なんかを基にしたモンだと思うけどなぁ。栞がネギに対してあんな感情を抱いていたり、茶々丸や夏美があーだこーだ悩み抜いて自分の気持ちを吐露したり受け入れたりしてパクティオーした一方で、フェイトが「人の自我など錯覚による幻想に過ぎない」なんて言ったりするトコが面白いんじゃないか。
もう随分前の話だが、のどかとか夕映のパクティオーだって彼女達の気持ちを描いたもので、別に戦力がどうのこうのって話じゃなかったでしょ?明日菜の時だって戦力云々は本質ではなかったじゃないか。