アニメ版『魔法先生ネギま!』は良作だとはさすがに言い切れない

アニメ版の面白いところを紹介するというよりはストーリーの批判されている部分の解説という形になったような気もするが、一応どこが何故面白いのか伝わったと思う。
最後に今までのまとめを簡単に書く。


・まずこのアニメは自分の気持ち・弱さを受け止めてくれる相手がいることの大切さ、自分の気持ち・弱さを周りに発する勇気の大切さを訴えかけている。言い換えればお互いに助け合うことの大切さだ。
パクティオーは単にクラスメイトが戦いに参加するための儀式ではなく、ネギが相手の思いやりを受け入れることを表現している。ネギは最終回まで明日菜以外に精神的に頼れる人がいなかった。
・明日菜の死後刹那が木乃香のもとから離れたのは、明日菜の死の原因が自分にあると感じていただけでなく、「強くなって木乃香を守る」という自分自身に誓った約束を木乃香を傷つけてしまい守れなかったためである。
・明日菜のマジックキャンセルが発動したりしなかったりするのは、明日菜が相手の魔法・気持ちを受け入れるかそうでないかであり、決して矛盾しているわけではない。


他にも細かいことについてちょっと解説していく。
宮崎のどか綾瀬夕映の修羅場をうやむやにされたと批判してる人もいる。でも修羅場と言っても、いつものどかを応援していた夕映が自分の気持ちを打ち明けているだけだ。いつも他人の世話を焼いていて自分の悩みを打ち明けなかった明日菜が初めて助けを求めた際にみんなそれを快く受け入れたのだ。夕映の気持ちも受け入れられて当然だろう。むしろ最終話で当然のごとく受け入れたことが友情の素晴らしさを示しているのではないか。
エヴァンジェリンの言っていた「契約の半分」がどうこう言うのは勿論明日菜の気持ちのこと。「魔法や科学ではどうにもならない」と言ってるのはこのため。
「魔法より科学が優れてるじゃん」と批判するのもどうかと思う。そもそもタイムマシンは魔法の力がないと動かない。そして最後の世界樹の場面。ここも超鈴音のマシンという科学だけでなく、ネギが杖を振りかざして魔法を使っていることに注目しないといけない。科学と魔法の両方があって明日菜の契約を解除できるのだ。異なる二つの要素が協力するから「みんなで明日菜さんの契約を解くんです」というネギのセリフも活きる。お互いに助け合うことの象徴だ。
文化祭でやるはずだったミュージカルは、全員がパクティオーしてからの戦いからがそれに該当するものだ。EDの『輝く君へ』なんて明日菜への想いを全員で歌っているいい歌じゃないか。


こんなにも素晴らしい要素があるのに、実際にアニメを観ると「m9(^Д^)プギャー!! 」と言ってしまいそうになることが多々あるのは何でだろう…やっぱり作画の問題なんだろうか。長谷川千雨の髪の色とかヤバすぎるって。今時小学生でもあんな緑色使わないよ。それに葉加瀬聡美はともかく超鈴音の異常なまでの頭脳をもっと序盤から見せとかないとタイムマシン出されても説得力なさすぎ。
でも俺は漫画の方で泣きそうになったことは一度もないが、アニメでは本当に感動して涙したことはあるのはここだけの話だ。


最後に小ネタ。
25時間目における最終話の予告にて。

ザジ「それよりもっと大変なことがある。私達、セリフあるかなぁ!」
四葉「あっ!」

ザジさん、騙されちゃいけねえ。四葉五月のやつは25時間目ですでに喋っているぞ!その証拠にEDでちゃんと名前がクレジットされている。「あっ!」ていうのはセリフがあるかどうかを心配して言ったんじゃない。自分だけ先に喋っちゃったことがバレないか焦ってるんだ。