千雨が現実主義なのは何故か

今週の『魔法先生ネギま!』で人気が爆発したであろう長谷川千雨。自分も今までは「それなりに好き」ぐらいだったのだが、今回の話で一気に自分の中の千雨株が上がりましたよ。


で、千雨と言えば麻帆良学園の生徒の中で数少ない現実主義者であり、それ故に常識外れな学園の生徒とは仲良くなれない。
では、どうして現実主義なのか?大人しいとか騒がしいだとかの性格なら生まれつきのものだと言われても納得できるが、千雨の現実主義みたいな思想なんてものは生活の中で彼女に大きな影響を与える何らかの事件か何かがないと持つことはないと思う。


以下、俺の勝手な妄想が延々と続く。
まず12巻の105時間目では世界樹について「小学校からここにいるので違和感はなかった」とあるが、このことからまだ幼い小学生時代には学園に対して疑いは持ってなかったと思われる。そのまま学園に対して疑いを持たず受け入れる素直さを持ち続けていたなら、クラスの生徒に対しても留学生が多いとか背が高い低いだとかに対しても「そういうもんだ」とか受け入れられたはずだったと思う。
千雨がパソコンを手に入れインターネットで外部との違いに気づいたって、小さい頃から生活している学園ならその異常さにあそこまで拒否反応を示すことはないだろう。朝倉だってネットは利用してるし、何より他の一般生徒も学園の外に遊びに行ったりしてるんで学園と外部との違いには気づいていてもおかしくない。それでも学園の異常さを受け入れている。となると、千雨だけは何か特別な体験をして疑いを持ち始めたんだろう。だって世界中の色んな場所を知っているであろう雪広あやかだって普通に学園生活を送ってるんだぜ?千雨だけがあそこまで現実・常識に拘るのはおかしい。そもそも常識の違いから友達が出来ないというのも変な話だと思う。個人個人の常識や思想に違いがあっても相手が敵意を持つような輩でもない限り友達の一人ぐらいできないか?


では千雨はどうして学園の異常さ及び学園の人間を拒み始めたのか?
結論から言うと千雨は人間不信になっていたのだと思う。千雨はネギにコスプレのことがバレたときに「私のこの秘密の趣味がバレたら学校中の生徒に後ろ指さされて笑われて・・」なんて考えているからには、コスプレという趣味が「世間一般では馬鹿にされるもの」と認識していると思われる。どうしてそんな認識をするようになったのかは色々とあるかも知れないが、ネットの世界でオタクが馬鹿にされるのを目にしたり、あるいは千雨自身が直接誰かに趣味を馬鹿にされ傷ついたのではないか?
14巻の121時間目では千雨はネギに対して次のような助言をしている。

吹っ切れた 悟ったなんてのは大抵勘違いだから気をつけろよ ガキ
人間そんな簡単に変われるもんじゃねえんだからな
デカイ悩みなら吹っ切るな 胸に抱えて進め・・以上だ。

これは千雨自身もまたデカイ悩みを抱えているということであり、それは到底吹っ切れるようなものではないのだろう。その悩みこそが現実主義でいる原因で千雨は「人間には誰にも悪意があり信用できない」というのが現実・常識であると思ったりしてるんじゃなかろうか。
そんなだから友達ができないし作ろうともしない。もし友達になっても傷つけられるんじゃないのかと思ってしまう。だから「現実・常識で考えた場合の馬鹿にされる立場」に立たないようにするために「現実・常識で馬鹿にされない立場」にいることに拘り続けるだと俺は思う。
千雨が常識に拘るのは常識に傷つけられたから…そう思うと何か悲しいよな。
ネギと小太郎の関係に助言していることも、過去に人間関係で何らかのトラブルがあったことを連想させる。
でも千雨が和泉亜子の背中にある傷の問題に関してはクラスメートのことを

うちのクラスのやつらは ああでしょう?(中略)
そーゆーところだけは 他にはない 評価すべき点かもしれませんね

と言っているあたり「このクラスの奴らならもしかしたら…」とか思ってたりしてたんじゃないかと思う。
そして今までの常識ではどう考えてもおかしいはずの武道会でネギの一生懸命な姿を見ていると、常識人であるはずの自分がネギを馬鹿にするどころか応援しちゃっていることに気づいたりしたことが、今週掲載の149時間目のように「眼鏡を外してパクティオー」なんてファンタジーなことをすることができた原因の一つなのかもしれない。