『Kanon』からは死が匂う

Kanon』の原作ゲームはプレイしてないから的外れなことかもしれんけど、月宮あゆってもしかして死んでない?
祐一が過去の記憶が曖昧なこととか、あゆの探し物が明らかに漠然としたものであるとか、いかにもそんな感じなのだが。あゆが探してるのは自分自身で、祐一の記憶がないのはあゆの死に祐一が深く関わっていて自ら記憶を閉じているんじゃないかと。
19話のキスなんて、いくら名雪が「祐一は一途」だと言っても、あまりに唐突に思えて「脚本家は何考えてんだ?」と一瞬思ったけど、祐一が他の女の子になびかなかったのは、あゆの死以来、彼の時間は止まっていたから「幼い頃あゆが好きだった=今でもあゆが好き」ってことなのかな。
で、今いる月宮あゆは祐一の妄想が何らかの力で実体化したものってわけか?
いやー、もしそうなら結構ホラーな内容だよな。
祐一はサイレントヒルにでも迷い込んだのか!?


アニメ自体の出来は、個人的には「ちょっと…」って感じかなぁ。人間化した動物とのほんの僅かな間だけの交流ってのも『D.C.〜ダ・カーポ〜』の方が泣けたし、死を目前にした栞の話もただ通過点にしか過ぎないような印象。
これって多分、祐一役の杉田智和の使い方が間違ってるせいだと思うんだけど。普段のだるそうな演技と、ここぞという時の熱い(はずの)演技のギャップが小さすぎやしないか?どうも感情が溢れ出している時も、心の奥ではどこか冷静に物事を受け止めているっつーか、どこか達観しているような印象を受ける。
雪国が舞台ということは、冬の寒さに対する人間の温もりが大切であろう。それが表現し切れていないのは残念。視聴者にとってこういう理屈ではなく直感的にわかってしまう要素ってのは、作品に没頭する上で極めて重要なことだと俺は思う。
それともこのアニメのファンは、この淡々とした雰囲気が好きなのかなぁ。