『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!!』の賛否の分かれ目

「働くっていうことは人と傷つけあったり誤解したり、辛い事がいっぱいあって、でも、そうやってぶつかり合う事が、人と繋がるって事で…。人と繋がりながら、自分一人では見つけられない自分を見つける。だから働く。そんな気がします」
NHKドラマ『スロースタート』より

全てが台無し―雑記帳―さんがまなびストレートの細かい演出の受け取り方で「この作品を駄作という人は演出が見えていない」ってことを書かれているんだけど、俺が勝手に思ってることだけど「演出が見えない」のって、この作品のメインテーマを「どんな困難にもめげず突き進んでいくこと」だと見なしているからだと思う。
「演出が見えている」人の場合は、きっと「人と人との繋がり(意見・主張のぶつかり合い)」をメインテーマだと考えていると思う。
例えば4話で、掃除当番を自分一人だけに押し付けられた芽生の元に教室の扉を開けて入ってくるむつき、一人で落ち込んでいる芽生の部屋に「お前んちの合鍵の場所を知らないとでも思ったのか?」と言って入ってくるむつき、体育館の扉を開けて、何の迷いもなく進んでいく芽生。この3つの場面の関連性が「演出が見えてない人」にはよくわからなくてありきたりな展開だと思うし、「演出が見えている人」には芽生の第一歩として素直に受け入れられたと思う。むつきが芽生といいみかんといい、人の心の扉を開けてスッと簡単に入ってくることが出来るのは6話の少子化時代に逆行する家族の多さを見れば一目瞭然だろう。
3話のアバンでは、愛光学園と聖桜学園の生徒会室の風景が描かれていたが、両者の違いが文化祭の風景が「見える」「見えない」に結びついているということにも「演出が見えてない」人にはハッキリとは理解できないと思う。要するに学美の「見える」に対して説得力が感じられず、「見える」のは単に「学美はそーゆーキャラだから」って理由だと思ってしまうんじゃないか?


この作品は、他者への拒絶とか無視なんかについてはかなり重苦しく描くけど、意見・主張のぶつかり合いは非常に活き活きとしている。学美が愛光学園に乗り込んで直接文句を言ったら学園長が署名の条件を出してくれたけど、ここを単なるご都合主義と取るか、それとも…ってわけですな。
「これは駄作だー!」なんて思っている人も、「部屋」とか「扉」を始めとする色々な意味についてちょっと考えながら観たら「結構面白いかも」ぐらいにはなるんじゃない?