シゴフミ 第10話デアイ

あのー、「ドラゴンマン」ってギャグですか?>佐藤竜雄監督


白と黒の柄の猫のカバンを持った少女が路上で死んでいる鳥を見つめる、というアバンで始まるのだが、前回のアバンを思い出せばなんとなくわかっちゃうよね。この女の子(文伽)と行動を共にする人は死ぬって。終盤では文伽ちゃんは耳までつけているという周到ぶり。
少女と付き合うことになるのは一週間前にゲーム会社を辞めた日比谷毅彦。真っ白なキャンバスに絵を描こうとしても全く筆が進まないようだ。『シゴフミ』の視聴者ならこの場面で、この男は何らかの理由で社会性が失っているというのがわかる。そんな彼に文伽は一言アドバイスを送る。「お外!」と。
矢島晶子の反則的な演技もあって、俺はもうこの段階で泣きそうになった。今までの『シゴフミ』では親の問題やイジメが原因で社会的に抹殺された者もいたのに*1、今回の文伽ちゃんは明るく無邪気に「社会に出ようよ」って誘ってくれるんだから。
ファミレスで好きなものを好きなだけ食べ、映画を観たりゲームをして楽しむ二人。でも社会ってのは楽しいことばかりじゃない。不良にからまれもすれば、警察に誤解されしょっぴかれる。会社の友人とも喧嘩別れみたいなもんだし、世間体を気にする親にはネチネチと文句を言われる。
そんな社会に絶望した彼はついに自ら命を…というところで文伽ちゃんの持っていたゲームから音が鳴る。そのゲームのグラフィックを担当していたのは毅彦だった。ゲームのことを楽しそうに語る文伽ちゃん。そのことで今までの人生を振り返り、何故自分は絵を描きたかったのかを思い出す毅彦。
「どんな絵を?いや、ただ絵を描いて(誰かに)喜んで欲しかったんだ」
誰かに喜んで欲しい。そう、彼にとって絵を描くことは個人的な趣味なんかではなかった。誰かと繋がっていたかったんだ。
社会に希望を取り戻した男は最後に絵を描くことができた。シゴフミというキャンバスに。


問答無用で今回は傑作と言い切れる。今回はある一人の男の物語という単発ものとしては勿論のこと、フミカと文伽ちゃんの出会い、毅彦と同じく社会に希望を持ったのか美川文歌が目覚めるといった具合に、フミカの物語とも綺麗に繋がっている。
真っ白なキャンバスに絵を描くことが誰かと繋がるということなら、真っ白な花に埋め尽くされるということは…うう(泣)こういう所も抜け目なくて感心する。
5話以降、どんどんこの作品の評価が上がっていくわ。



忍者居酒屋(?)に関しては黒づくめの者を描くことによって喪服のイメージ、あるいは真っ白なキャンバス(社会性の喪失・皆無)の真逆に位置するものを表しているのだと思う。文伽をその居酒屋に連れて行けないのは、酒を飲むところという理由の他に、彼女がまだ社会性を学んでいる途中だからだろう。

*1:前者は動物的にも死んだが