H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜 これまでの適当な感想というか解釈

第十一刻まで放送されあと1話というところまで来たが、なんというか、公式ブログでわざわざトリックの種明かしみたいなことをやるっていうのもおかしなもんだなぁ。視聴者に伏線を確認させるために親切心でやってるんだろうけど、DVDの売上にちょっとは影響すると思うぞ。だって、わざわざ観直す必要がなくなるわけだしさ。それとも、ちゃんと伝わっている自信がないとか?


ちなみに、「琢磨の目が見えてなかった」というオチは、番組を繰り返し見て公式ブログを定期的に確認してる人なら第四刻あたりでわかったんじゃないか?以下は公式ブログの「第四刻を放送終えまして」からの引用。

さて、第四刻「はまじ」も、かなりの地域で放映を終えまして。
いろんな人から「今回は、本筋から離れた番外編なんですね」というお声をいただきました。
時に皆さんは、手品を成功させるコツをご存じですか?
マジシャンは、観客に右手を見せている時、左手で何かしようとしている。
「コインにハンカチをかぶせて、はい、消しますよ」という時は、コインではなく、ハンカチを消す。
今回は、はまじちゃんと雪路ちゃんに「右手」と「コイン」の役割をしていただきました。
テレビアニメ『H2O』は、第四刻をもって、駒の配置が終了しました。

これを読んで俺は「実は見えてないんじゃないか?」と疑ったんだけど、第五刻で黒板に描かれた絵を誰にも言われずに認識してたので「やっぱり見えてるのか?」とどっちなのかわからなくなってた。あの描写は確実にミスというか反則だと思うんだけど…はやみのパンチ力に驚くとこもミスじゃない?


・琢磨の視界(認識)と現実との差
賛否の分かれ目となっているのが、目が見えてない伏線は理解できるとして「見えてないと不自然」という箇所が多いと思われてるとこだね。この作品は琢磨の視点か第三者の視点かわかりづらく
1.琢磨が見えていると錯覚してるだけで本当は見えておらず、彼の行動に不手際があったり周りの人間にフォローされている
2.たとえ見えていなくても、琢磨が強い意志の力を発揮して行動する時は本当に見えている様に描写している
の2パターンがあって、どこからが1でどこまでが2の場合に当てはまるのかわかりにくい。あと、元々彼はどのくらい一人で出来るのかとか。例えば初めて吊り橋を渡ってはやみの家(と言っていいのか?)に行くときとか、第九刻で一人で登校及び寄り道する描写など。明らかな2のパターンを「不自然」と言っちゃう人は話を理解でk以下略。ちなみに2のパターンになるのは大体はやみを助ける場合。
まぁ、一番の問題は盲目の琢磨が普通の学校に通ってて、授業の際には彼専用の点字の教科書とかがないということなんだけど。



・吊り橋の形
第二刻で初めて吊り橋が出た時、当然のことだが吊り橋は緩やかなU字型になっているし、吊り橋の上を歩くと橋が揺れる。第三刻ではほたるを連れてきた時は橋の形が水平になっている。第五刻でも同様に水平になっていて、実際に橋の上を歩いてみると全く揺れない。最初は作画の悪さから来るモンだと思っていたが、これは琢磨の意志の強さの変化を表した意図的な演出だろう。


・水のイメージ
H2Oというタイトルからして「水」なんだけど、初っ端の海に始まりこの作品には本当に水がたくさん出てくる。そして、水が関わる場合は大抵琢磨の目が本当に見えている様に描写される。
吊り橋を渡ってはやみの家を訪れて彼女が水浴びを目撃。はやみが便所の水をぶっかけられて苛められている際に駆けつける。海で溺れる雪路を助けに行く。海で泳ぐはやみを見つける。シャワーの止め方が分からずに困っているはやみを助けに風呂に行く。(この場面は湯船に突っ込んだ琢磨の視界がぼやけるという盲目の暗喩もあり重要なところ)
そして、第十一刻では雨の中を彷徨うはやみを見つける琢磨…しかし彼は…
という具合に水が多く出てくるのだが、自分の眼が見えないことに気づいた後、はやみが家を出てしまって彼女の姿を追うときに田んぼの中にこけてしまい、彼もまた水に浸かる。


蛍の光
蛍と言っても虫の方な。第十一刻ではやみが琢磨の家を出て夜道を一人で歩いている際に、彼女の周りを蛍が飛んでいる。またはやみを追いかけて田んぼの水に浸かった琢磨だが、その周りにも蛍が飛んでいる。そして目が見えずに何も出来なくなっていたはずの琢磨が、はやみの元に駆けつけることが出来ている。それと、第三刻では、ほたるが琢磨に水をかけてしまい、彼の体を慌てて拭くという場面がある。
この描写を見る限り神楽ほたるに何らかの特殊な能力があると思うんだけど。この能力について説明がないといくらなんても琢磨のワープはご都合主義だよな。


音羽(ひなた)とヒマワリ
この作品の最初のトリックと言えば、神楽ひなたと妹のほたるの入れ替わり。これは仏壇の写真の顔が音羽に似ているぐらいしか伏線がなさそうに見えるけど、爺さんの言葉からも推測できるし、何より仏壇の写真がヒマワリをバックにして撮られているというのが最大のヒントになっている。
ひなたを漢字にすると日向だし、ヒマワリを漢字にすると向日葵。第一刻で音羽はヒマワリを見つめているし、保健室に飛び込んでくる際にはヒマワリが背景にある。ちなみに、この保健室に入ってくる時に「音羽=ひなた」であることを音羽がかなり直接的に言っている。マジで笑っちゃうほどそのままなので録画している人は確認してみてはどうか。



・個人的傑作回
今までの『H2O』の中で自分が一番好きなのが第六刻の「ゆい」。この回は(作画以外)完璧に近い内容だったと思う。
一方的にゆいの暴力を受けてきたはやみが「ごめんなさい。もう何も返すものがないの。親も家も生活も何もないの。」と自分の気持ちを初めてゆいに告白したのを観て、言い知れぬ感動に浸ってしまった。この告白は単にはやみが辛さを告白しただけのように思えるけど、本当は「私もアンタ達のことを恨んでるわ」という意味合いも含んでるんだよな。同じカキ氷を食べて一緒に頭痛を味わって、同じ髪型、服装をするといった前半の描写がここでちゃんと活きてる。
そしてお互いの気持ちをぶつけ合った翌日、彼女達の間にあった溝がなくなっていたのだった。
この第六刻を思い出すと、彼を幸せにすると誓った故に第十一刻で自分の気持ちを告白せずに、琢磨に殴られているはやみが不憫で不憫で。
『H2O』の世界では、自分の気持ちを打ち明けないと決して幸せにはなれない。気持ちを打ち明けたからといって赦しを得られるわけでもない。誰かを傷つけてしまうかもしれない。それでも…

琢磨「ひなたちゃんははやみちゃんに赦してほしいわけじゃない。一緒にいたいんだよ」
第六刻「ゆい」より

はやみ「私、弘瀬のこと傷つけた。話したくないって言うのに、ワガママ言って、無理に聞いて。弘瀬はあんなに嫌がっていたのに…」
ほたる「でも、心に触れることができた。何故弘瀬様が本当のことを言ったんだと思いますか?」
第九刻「穂積」より

さて残すは最終回のみ。一体どうなるってしまうのか。括目して待て!