読み方についての話

漫画やアニメ、映画に小説。その他いかなる物語にも人それぞれの読み方や感想ってものがあるのだけど、今回の『ネギま!』に関しては、ちょっと口を挟みたくなった。


未だにパクティオーアーティファクトを、戦う力を得るための単なる儀式・道具としてしか認識していない人達がいるのかと思うと気が滅入る。
表面的には確かに道具にすぎないかもしれないけど、それを使って何を表現しようとしてるのか読み取ろうとしてる人はどれだけいるのか。今回の刹那騒動(騒動って言うほどでもないが)で本気で心配しかけてるよ。実際には理解してる人が大半だと思ってはいるけど。


最近「アーティファクトの力に頼って月詠に勝っても、刹那が成長したわけではない」といったような意見をちょくちょく目にしたけど、あんたらは今まで『ネギま!』を読んできて本当に面白いと思っていたのか?
ネギ対ラカンの試合で、ネギがどういったところで「一人前」に成長したのか考えたことがあるのか?ラカンは開発力を褒めていたけど、ネギの成長ってのは凄い技を編み出したことだけではないってことがわかってるのか?テオドラとのパクティオーで得たアーティファクトがどういう使い方(ネギがどう使ったかというわけじゃなくてね)をされてたのか意識してんのか?
100km箒マラソンで夕映のカードが彼女の決意の強さに呼応するかのように、真っ白な状態からちゃんとした状態に戻り、夕映に力を与えてるのを見て「夕映が成長したわけじゃない」なんて思わなかっただろ!?


まぁ、世の中には『とらドラ!』で大河が手作りチョコレートを、自分がバイトしてたチョコレート店(ケーキ屋だったっけ?)の袋で包装した意味も理解できてない人間もいたからな。文章にするとそのまんまなんだが。


結論としてはね、何を表現してんのか理解しようともしない人間が、いかにも「自分はしっかり読み込んでますよ」といった顔をしながら堂々と批判してる現状が気に入らんのですよ。そんな奴らよりは、「オタクっぽくてキメエ」って生理的嫌悪を理由に批判してくれる人のは幾らかはマシだ。
批評や感想ってのは、作品を利用して自分の頭の良さをみせびらかすもんじゃないからね。