「読み方についての話」のコメント返信

長いコメントを貰ったので、ここで返答します。


>作品的にはともかく、ストーリー的に考えてネギは安易なパクティオーは止めるべきじゃないのか?
前回、僕が言ったのは、アーティファクトなどを使って何をどのように表現しているかについてであって、ストーリー展開そのものについてではないので、これはこれで正しいことだとは思います。ただ、「ネギが正しい行動をとる=作品的に面白い」とは思いません。


続いて、ラカンとの試合でアーティファクトを利用した意味がわからないとのことですが、僕が言っているのは「ネギがどう使ったか」ではなく、「アーティファクトを使うことで何を表現しているか」の話です。
表向きには、ネギがアーティファクトを使った理由は、接近戦に持ち込むため、テオドラから魔力が貰えるからだとかそういう理由などでしょう。でも、接近戦に持ち込んだ後は、一度アーティファクトを使うのを止めてるでしょう?その結果がどうなったかといえば、新技をあっさりと見破られてボコボコにされて、アーティファクトを使わざるをえない状況になります。
しかし、ネギには雷天大壮2や敵弾吸収など奥の手があったのに、なぜそれを最初からしなかったのか。なぜ、アーティファクトを使うのをやめて、接近戦を挑んだのか。
このことを考えた上で、たとえカゲタロウの足止めにしかならなくとも再びアーティファクトを使うという決意したのはなぜか。そして、それが何を意味をするのか考えてください。


>何を持って成長したと指すのか?
パクティオーをたくさんすれば?強力な魔法を開発すれば?それとも単に戦闘力が強くなれば?
上記のことをふまえた上で『ネギま!』における戦闘で何を表現しているか考えてください。これからの、刹那vs月詠の戦いは、刹那がアーティファクトを利用して勝利するでしょう。でも、なぜアーティファクトを使うと勝利できるのか。そういうことを考えないと『ネギま!』(特に武道会以降)をあまり楽しめないでしょう。



今までの文章が、何を言っているのかよくわからないのなら違う場面を例に書きます。
222時間目のネギとフェイトの、「紅茶とコーヒー」議論です。
ここでは、ネギが紅茶にミルクを入れてる描写があります。その時の紅茶に入れられたミルクの広がり方を見てて、何かの模様を思い出しませんか?ネギが「闇の魔法」を発動させる時に両手に現れるあの模様ですね。で、ミルクティーに対してフェイトは「子供みたいだ」と馬鹿にしますね。これは要するに、闇の魔法のことを馬鹿にしてるんですよ。*1だから戦闘になって、闇の魔法を使うと「ラカンのもとにいたのにガッカリだよ」と言うんですね。


もっとわかりやすいのは、皆さんお馴染みの千雨の眼鏡。これが何を意味してるのか今更言うまでもないでしょ?彼女が眼鏡をはずすのはどういう意味があるか。それと同じようにアーティファクトを使ったりするのにも意味のある場合があるんですよ。
もっと言えば「ラカンの攻撃を吸収したこと」もネギの心境を表現したたくさんの描写のうちのひとつなんですよ。


ネギま!』って作品は、比喩・暗喩を使った表現が週間連載の少年漫画にしては多いほうです。何気ない行動に見えたものが、かなり重要な要素だったりするので、そういうのを読み解かないと面白くないばかりか、話が理解できない場合もあるよってのが前回の「読み方についての話」の言いたいことです。

*1:ネギがやたらとフェイトにつっかかったのも、ミルクティー=自分の選択した闇の魔法が馬鹿にされてるから