もうこれ以上は、この問題について何も書かんぞ

言葉使いが悪いので読みたい人だけ読んでね。





そもそもの話は「アーティファクトを使って月詠に勝っても何も成長したことにはならない」ってことへのツッコミで、ネギVSラカンの試合なんかを例に出して、「表現方法について」書いたつもりだったんだが、ちょっとごちゃごちゃしてきたな。


で、「AF使ったら何の成長にも以下略」派の人は明日菜vs刹那の試合以降で、明日菜のハマノツルギがハリセンから本当の剣に変化したのを見て、「AFが変わっただけで、明日菜自身には何の変化もない」とか思ってるの?そのレベルの思考能力しかないの?赤松先生がそのことを日記で説明してくれないから、「明日菜に変化があったなんて決め付けんな」とか言うの?

ネギvs刹那の試合で、ネギが勝ったのは刹那が手を抜いてくれたからであって、ネギは何の成長もしていないとか言うの?


「AF使ったら何の成長も以下略」派の言ってることはそれと同じだってこと自覚してんの?実際に戦う前から何でそんな決め付けをするの?「刹那の精神的成長の象徴として新しいAFが使われるんじゃないか?」ぐらいの想像もできないの?マジ終わってんな。
こーいう奴らが、さも自分は読み込んでいるといったような態度をとって、作品を批判するって何なの?


別に俺が作者の代弁者を気取るつもりはないよ。
人それぞれの話の理解の仕方があるし、俺はあくまでも作品の表現方法をもっと読み取ろうぜと言ってるわけで、「これがこういう意味だから面白いに決まってる」とか言ってるわけじゃないぞ。




「ネギが木乃香アーティファクトで試合中に傷を治さなかったのはなぜ?」という質問がありましたが、僕個人の意見を書いときます。
(テオドラの魔力を借りることを前提とした)怒涛の攻撃の後、ネギ自身が「ほぼ限界だった」とほんのちょっとだけ余裕を残していることを告白しています。ほぼ限界だということは、木乃香アーティファクトを使う余裕はあったはず。でもそれをしちゃうと保険の雷の暴風が使用できなくなる危険があったので、ほんのちょっとの余裕を治癒ではなく、ラカンが立ったときのための保険に使ったのだと思います。傷が治っても、魔力が残ってない状況でラカンが攻撃してきたらどうしようもないからね。