『ネギま!?』に対する不安

以前「アニメ版『魔法先生ネギま!』は駄作じゃない」なんてことを書いたけど、新たに始まるアニメ『ネギま!?』にやたらと不安感を募らせているのは俺だけだろうか。
監督は新房昭之でシリーズ構成は金巻兼一、アニメーション制作はガンジスとシャフトの『ぱにぽにだっしゅ!』のスタッフで決まってんだよね?『ぱにぽにだっしゅ!』は大好きなんだけど、あれって原作の『ぱにぽに』がギャグがメインの作品でストーリーが大してなかったからあそこまでぶっ壊しても許せたけど、『魔法先生ネギま!』のようにしっかりとしたストーリーのある作品が必要以上に壊されたら嫌だなぁ。そんなことは絶対にないとは思うんだけど「コミックボンボンでも連載開始」なんてニュースを見たら不安にもなるよね。

なんてことを書きつつも本当に心配しているのは、視聴者が原作のイメージや上辺の演出だけを気にして物語を読み取ることを放棄してしまうことだったりする。批判だらけだったアニメの『魔法先生ネギま!』だって『ハッピー☆マテリアル』の衝撃と作画の酷さに対する批判ばかりを話題に上げて、多くの人(特に原作ファン)はネタアニメとしか認識せずツッコミを入れるためにしか観てなかったと思う。でなけりゃ最終回の連続パクティオーはともかくとして、明日菜のマジックキャンセルが何だったのかぐらい分かるだろフツー。


上述のように『魔法先生ネギま!』は作り手の意図していないことが原因で物語を読み取ってくれないという悲しい結果になったが『ネギま!?』はどうなるのだろうか。
例えば『ぱにぽにだっしゅ!』のスタッフが作るということだけでギャグ・パロディが満載であることを期待してたりしないだろうか。いや、期待するなと言ってるわけじゃなくて、その期待に応えられなかっただけで批判をするなと言いたいのだ。どのみち放送時間は夕方なんで子供が楽しめることに重点を置いてるだろうから『ぱにぽにだっしゅ!』のような作風にはならないと思うが。
今挙げた例のような視聴者側の先入観なんかは、作品が一定水準以上のクオリティであればすぐになくなると思うんだけど、問題は作り手が視聴者の先入観を利用して物語を読み取らせることを意図的に放棄させようとするのではないかということ。
「んなことあるわけねーだろ」と言う人も多いだろう。でも『ぱにぽにだっしゅ!』では実際そうだった。
「『ぱにぽにだっしゅ!』のストーリーなんて脈絡のないものばかりだろ」と言っちゃう人もやはり多いかもしれない。確かに脈絡のないことも多かったが、明確なストーリーがあったりしたこともあったのだ。

一番わかりやすいのが8話の「熊に山椒 鯉に胡椒」と22話の「槿花一日の栄」である。8話はベホイミ魔法少女の姿を捨てる話で、22話はテレビ取材でベッキーが行方をくらます話。

8話では一条さんがどうして橘玲の白魔術儀式を邪魔したのか理解できてる人がいるだろうか。あの描写は明らかにギャグ演出がなされており邪魔したのは「一条さん(という何でもありのキャラクター)だから」としか思ってなかったとしてもしょうがない。そもそも邪魔したという認識すらなかったかもしれない。でもあれは一条さんがベホイミのためを思ってやったことである。
22話はさらにタチが悪く(脚本が巧すぎ)て二重の先入観を利用している。ベッキーがみんなのもとに戻ったのは「みんなが自分のことを心配してくれてることに気づいたから」という、取ってつけたようなありがちなオチに見えるんだけど、そう見えてしまうのは先入観を利用しているからである。
1つ目の先入観は言うまでもなく「このアニメはギャグ・パロディの記号をメインに楽しむ」ということ。2つ目の先入観は視聴者が桃月学園の(良い意味での)異常さを「異常なことだとは思ってなくて当然だと思っている」ということ。例えば『あずまんが大王』で幼いちよちゃんが高校生をしていることにわざわざ「ありえない」と批判する人は誰もいないだろう。それと同じでベッキーが教師をしてても一条さんが無茶しても登場人物は勿論、視聴者も不自然には思わない。
でも、ベッキーだけがそうではなかった。ベッキーが大学にいた頃は奇異の目で見られ、ベッキー自身は「それが普通」だと思ってた。だからこそ普通でない桃月学園の生徒の素晴らしさを再度認識し、みんなの前に戻ったのである。
当然でありがちなオチがベッキーにとってどれほど嬉しかったことかを、桃月学園の異常さを「アニメだから」ということで当たり前のこととしギャグとパロディで塗り固めて注意を逸らすことによって、視聴者に敢えて理解させないようにしているのである。ベッキーを除くキャラクターもそのことを理解していないから余計に視聴者が理解できなくなっている。キャラクターが理解してないこと自体がある意味素晴らしいという話なんだけども。)


こんなことをする『ぱにぽにだっしゅ!』のスタッフだから『ネギま!?』の出来を心配してしまうのである。原作の『魔法先生ネギま!』は物語を読み取ることが大きな楽しみのひとつだけど、もしギャグ・パロディ満載でみんなそっちばかり注目したり、ちゃんとストーリーがあるのにそれを意図的に隠すようなことをして「ストーリーはどうでもいい」みたいなことになったら嫌なのだ。そんなことにはなるはずないとは思ってるんだけど。