『ネギま!?』の軽さ

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この記事と紹介されてあるリンク先の『ネギま!?』における全員仮契約についての批判を読んで「確かに軽いよな」と同意したものの、軽いからといってそれが悪いとは個人的には思わない。俺は『ネギま!?』に関しては全員仮契約みたいなことをある程度予想してたし、その過程も「大体こんな展開でやるだろうな」とは思ってた。
だって、魔法使いで子供先生なんていう非現実的な存在がやってくる『ネギま!?』を『ぱにぽにだっしゅ!』のスタッフが作るんだぜ?そりゃ、やりかねないぜ、こんなこと。
ネギま!?』って、非現実的な存在・出来事が一般人の前に現れる型の作品において必要なことを意図的に排除している。それはご都合主義なんて言葉では言い表せないほど徹底してるし、不自然とさえ思える。
その排除されていることとは、「ネギが魔法使いであるということを一般人が知って、その事実を拒否しようとする」こと。
例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』なんかにおいて、キョン長門有希の言うことを朝倉涼子に襲われるまでは到底信じられなかったり。
宮崎のどか鳴滝姉妹がネギが魔法使いと知っても、驚いたけれどもその事実をすんなり受け入れてる。そして#13ではネギが魔法使いであることがバレてチュパカブラになるなんてとんでもない状況になってるのに、魔法使いである事実に対してどうこう言うよりも、チュパカブラになったネギに対する謝罪と心配の気持ちの方が優先されている。
こんなことが至極当然のように描かれているから気がつきにくいかも知れないけど、生徒達にとっては、ネギが魔法使いであろうが何であろうがどーでもいいことなのだ。だから生徒達は「魔法世界へ踏み込む覚悟」なんてもんは別に意識してないし、ネギの正体がなんであれ助けたい気持ちでいっぱいなのだ。エヴァンジェリンの言う「強いな、魔法も使えないくせに」ってのは、まさに彼女達の純粋さのことを言っている。原作では現実主義の千雨に「(ネギを助けるためには)どーすればいいんだ」とか言わせてるのもわざととしか思えない。
普通の作品なら、びっくりするような事実を知った者は悩みぬいた末に「たとえ○○の正体が何であれ、○○は○○だよ」とか言っちゃったりするんだよな。
「異質の者が当然のように受け入れられる世界がいかに素晴らしいか」なんてことは、このアニメの監督や脚本家が最も表現したいことだと思う。*1これは原作漫画の6巻で、刹那の異形の姿を明日菜や木乃香が「カッコイイ」とか「天使みたい」と純粋な気持ちであっさりと言ったことを覚えていればすんなり浮かぶことだと思ってたんだけどなぁ。
ネギま!?』のこの「軽い」と言われる(思われてしまう)表現方法こそがオリジナルであり、優れた点だろう。
俺は『ぱにぽにだっしゅ!』(の特に第22話)を作ったスタッフならこうやると思ってた。と言うより、魔法使いであることがバレるのなら、「これをやらないで何をするんだ?」って感じ。まあ、ベッキーと違ってネギは自分の境遇がどれほど恵まれているかをあまり実感していないようだが。そのせいでスタッフが何をしたいのか視聴者が理解しづらいってこともあるだろうけども。


ただ、こういうテーマを扱うには今回のような話の前に、ネギを中心としてクラスメート全員でなんらかのイベントをこなし、ネギとの絆を深めるという話が必要。それがなかったのは失敗だったな。

*1:ぱにぽにだっしゅ!』もそうだったけど、こういう大事なことを全面に押し出さないのはある意味タチが悪い。